- JLogos検索辞書>
- 牛田村(近世)とは
「牛田村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
牛田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牛田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牛田村(近世) 江戸期の村名千住町の東部で古くは利根【とね】川・入間【いるま】川(のちには荒川,現在の隅田川)・綾瀬【あやせ】川の合流点に位置する昔は奥州街道がかかり,和田ノ宿とも呼ばれたという(新編武蔵)「江戸名所」に記される江戸末期の村名「天保郷帳」「旧高旧領」などには見えず,詳細は不明由来は千住町3丁目の小名牛田(汐田とも書く)であろう(新編武蔵)当地の新義真言宗豊山派西光院の本尊薬師如来像は牛田の薬師と呼ばれて信仰を集め,参詣人が多かったという(江戸名所)江戸人士の清遊の地でもあった現在の千住曙【あけぼの】町一帯... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牛田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
牛田村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち白石【しろいし】平野西部に位置する佐賀本藩領須古郷に属す近世初期竜造寺信周が須古城に居を構えて以来,須古鍋島氏の知行地となる「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島市兵衛234石余,「大小配分石高帳」では鍋島安房234石余「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに堤村の枝村に見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」